過剰な感染症対策により不登校を選んだ子ども達と、
目指すは百の仕事ができたというかつての百姓
自然のサイクルとともにあった年間を通しての農作業や暮らしは、豊かな経験と生きる技術の宝庫です。家電が家庭に普及する前(1950年代頃まで)、当たり前に各家庭で作られていた塩漬けやひもの等の保存食や、味噌や醤油等の発酵調味料を子どもと協力して仕込んだり、畑を借りて農薬や肥料は使わない栽培方法で子どもと楽しみながら畑仕事を行い、収穫を目指します。その頃の暮らしを覚えているメンバーの祖父母(お年寄り)から郷土料理や縄ない、山菜摘みなども教わる予定です。
自然の中で思い切り遊ぶ=子どもの成長に欠かせない経験
子どもだけで考え・決定・実行することは、子どもの自信に繋がります。大人がすることは、環境を用意して子どもたちを見守ることです。焚き火をして鍋でごはんを炊いて、魚を焼いて、味噌汁を作って火を囲んで食べることなども当たり前に出来る子どもを育てます。
親子のコミュニケーション、四季折々のお手伝い
かつての家庭には、四季折々に子どもの仕事がたくさんありました。水汲みや薪運びをして風呂を焚くというようなことも子どもの仕事でした。家の中や外の掃除も子どもに任されることが多かったと言います。小さいきょうだいの世話や、食事の支度を手伝うことも当たり前でした。家庭での仕事は、大人の真似をして身に付けていくものですから、まず大人たちがそれらの仕事を身に付けなくてはなりません。子どもなりに暮らしに参加することは、家族の一員としての貢献感を得られる機会ですが、現代ではその機会が失われています。子ども達に貢献感や自己重要感、自己肯定感が育つためには暮らしの中に子どもの役割を取り戻さなければならないと考えます。
年中行事・イベント
年間行事として、書き初め、豆まき、花見、運動会、海水浴、祭、盆踊り、遠足・ピクニック、修学旅行なども予定しています。コロナ禍以来、様々な学校行事が中止となったので、それをここのメンバーで学校とは少し違う形で行います。下の画像は運動会・綱引きの様子です。大人も競技に参加して、子どもと本気で遊びます。
子ども自身が自ら育つ
学校とは違う異年齢集団で様々な経験を重ねることで、子ども自身が自ら育つことを成果とします。自分で考えて行動できるようになったり、自分が興味を持ったことについて深掘りする、自ら学ぶ姿勢が育まれてくれることを期待します。
「子供の楽園」と表された日本人の子育て
理想は、開国して間もない日本を訪れた外国人の手記や日記の記録にあるような江戸時代の「子供の楽園」と表された日本人の子育てです。「日本が子供の天国であることをくりかえさざるを得ない。世界中で日本ほど、子供が親切に取り扱われ、そして子供のために深い注意が払われる国はない。ニコニコしている所から判断すると、子供達は朝から晩まで幸福であるらしい」。(参考文献『逝きし世の面影』渡辺京二)当時の様子は本でしか知り得ませんが、活動を通じてまずは大人が変容を遂げ、今まで以上に母も父も子とコミュニケーションを図ることができたら、それらを取り戻すことはさほど難しくないだろうと楽観しています。
100年前の当たり前を取り戻す「寺子屋 百(もも)」代表 金子知映